不条理の哲学とペルハット・トルスン

 

不条理の哲学とペルハット・トルスン

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 挿入詩 燃えている麦カスィーダタリム川朝の感覚
イラクフランツ・カフカ裸の海/ 詩人とゴキブリ母語
ダルヴィーシュミイラロプノール無限僕のために泣かないで

 燃えている麦  (2004年8月25日)


私はすべての者に呪われている彗星
真っ暗な宇宙を 目的地もなく落ち着く場所もなくさまよう
愛してくれ 復讐者が復讐の最後のチャンスを
失おうとしている その瞬間のように

私は 木に影を刻みこまれた男 
その日から 死人とみなされた
愛してくれ 殺人者が罪を犯すそのとき
熱くなった脳髄の中に沸き起こる妄想のように

私は天国の火でも じりじりと焼かれながら燃えている麦
炎暑の太陽のもとで 凍えて震えている麦
愛してくれ マゾヒストが
理性を無くした者たちに囲まれても
理性を夢中になって追い求めるかのように

私はオオカミ 私の骨は呪術師の手の中で冷たく光る
私は呪文のように 土に空気に火に水に散らばる
愛してくれ 天のおひつじ座六度の位置に 
太陽と月が同時に現れるときにさえ起きない奇跡のように

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 「天国の火でも じりじりと焼かれながら燃えている麦」は「毒麦は悪魔に蒔かれた子らで、彼らは収穫のときに刈り取られて焼かれる。(マタイによる福音書13章24-43節)」という内容の聖書の部分を意識して書かれたと思われる。 
 「自分が地獄に行って燃やされるのは受け入れよう、自分は決して善いことばかりをしてきたわけではない。しかし、生きているときに、天国のようなこの地で、じりじりと焼かれながら燃えているように苦しんでいるのはなぜなのだ!」と詩人は叫びたかったのではないか。新疆は石油をはじめとして豊富な鉱物資源に恵まれている。オアシスを利用して栽培される地方色豊かな果樹や、良質な綿花を生産できる自然条件にも恵まれているところだ。
 しかし、これらから得られる利益の大部分が、ウイグル人には還元されていない。中国の憲法では「いかなる市民も法の前にすべて平等である(33条)」と書かれ、18歳以上の市民は、民族、人種、性別、職業、財産等の違いによって差別されない、ということが定められている。しかし、これが実行されていないことは、現実が証明している。
 新疆の夏は、山岳地帯をのぞいては総じて暑い。その暑さも軽く40度は超すほどの暑さで、特に砂漠地帯では、日中は窯の中にいるような暑さになる。なぜこの暑さの中で詩人は震えているのだろうか。
 

 次の連の「私はオオカミ」の部分は、ウイグルにはオオカミを民族の始祖とする伝説があることを知っておく必要がある。ウイグルが属していた匈奴や突厥、さらに同胞民族であるキルギスといった騎馬遊牧民族の中にも、内容は少しずつ異なるが、やはりオオカミを始祖とする伝説がある。「私はいったい何者なのか」と考えたときに、ペルハットの意識は古代に生きた、自分の血の源となった祖先たちのところに到達したのだろう。 
 中国では少数民族の歴史が小中学校で教えられることはない。漢語で書かれた歴史書はあるが、それはあくまでも漢族から見た歴史である。天安門事件が起こった年に、『ウイグル人(Uyghurlar)』というタイトルの、ウイグル語で書かれた歴史書が出版された。 
 これまでは「ウイグル人は九世紀の半ばにモンゴル高原から移住して新疆に住み着いた民族である。」いうのが定説だった。しかし『ウイグル人』を書いたトルグン・アルマス(Turghun Almas 1924-2001)は、「ウイグル人の祖先は新疆を含む広い地方に、はるか昔から散らばって住んでいた。それで、モンゴル高原で帝国を作り上げたウイグル人たちが、帝国が瓦解したあと移住してきて、もともと住んでいたウイグル人の祖先と一緒になって今まで住んでいるのだ。」ということを学問的に証明しようと試みた。
 その正誤を判断することはできないが、この本は出版された年の終わりにはすべての書店から姿を消し、トルグン・アルマスは翌年に当局に拘束され、拘束が解かれたあとも軟禁状態に置かれた。

 


 カスィーダ 頌詩(しょうし)  (2006年3月 北京・西紅門)
                 お前の魂は全世界  ヘルマン・ヘッセ「シッダールタ」より

凍てつく峠を君が逃げていくとき 
遺体の山から僕を見つけられるだろうか。
僕は同胞たちに助けを求めたが
彼らは僕の衣服をはぎとってしまった。
いま 君がそこを通れば 我らの裸の遺体を目にするだろう。
彼らが「殺してやるのは情だ」と言って虐殺を受け入れるのを僕に強制したとき
僕が君といたことを 君は知っているだろうか。

三百年の眠りから目覚めた二人は互いを知らず 自分たちの偉大さを知らなった。
毒を上等のワインだと思って 僕は喜んで飲んだ。
通りから消えた僕を捜しだせずに 彼らが歩きまわっていた時
僕が君といたことを 君は知っているだろうか。

頭蓋骨で作られた塔の中には 僕の頭蓋骨もある。
刃の切れ味を試したいという理由だけで 彼らは僕の首を刎ねた。
彼らの剣の前で 我らが大事に思ってきた因果応報の教えが
軽薄な恋人のようにあっというまに無くなってしまった。
そのとき僕が君といたことを 君は知っているだろうか。

毛皮の帽子をかぶった男たちが 
バーザールで射撃の練習台になったとき
頭を撃たれた男が 苦悶の表情を浮かべて倒れていた。
自分の死の理由がわからない彼の目の前から 死刑執行人の姿が消えていくとき
銃弾に貫かれて熱を持った彼の脳の中に 僕が映りこんだ。
そのとき僕が君といたことを 君は知っているだろうか。

酒を飲むことが血を飲むことよりも悪いとみなされていた時代の
血にまみれた製粉機で挽かれた小麦粉の味を 
君は知っているだろうか。ナワーイーが狂おしく想像して求めたワインの味は 
僕の血をサンプルにしてつくられたもの。
果てしなく秘密めいた 神秘の酔いの最も深い層のところに
僕が君といたことを 君は知っているだろうか。

天山山脈の北分脈、カラウジン山麗にある糸杉の林。(筆者撮影)


 この詩は、ペルハットがウイグル人の歴史の中に身を置き、そこから大切に思っている「君」に語りかけているという構成になっている。 
 今から300年ほど前、ウイグル人の祖先が住んでいた土地は、モンゴル系遊牧民のジュンガル部族によって建てられた帝国の支配下にあった。しかし1745年に帝国が後継者争いで内乱状態に陥ると、この土地を版図に入れることを目論んでいた清がこれを好機ととらえ、侵攻作戦を開始した。 
 そして1759年、清はまずジュンガル盆地のモンゴル人を征服し、そのあとタリム盆地に住んでいたウイグル人を征服し、これらの土地を新しく得た辺境の地という意味の「新疆」と名付けた。新疆となったあともウイグル人たちの抵抗は続き激しい戦いが続いた。この時期の犠牲者の数は正確にはわからないが、数十万人にのぼったと言われている。 
 ペルハットは詩を書いた場所をウルムチ、北京、アトシュ、といったふうに記しているが、この詩には西紅門(せいこうもん)という、北京の一地区の名前が記されている。なぜ彼はわざわざこの地名を記したのか。 

 西紅門は古い歴史を持つ土地で、かつては多くのイスラム教徒が住んでいてモスクも建てられていた。最初のモスクは明の時代、1414年に建てられ、何回かの修復、破壊、再建がくり返され、現在の建物は金色の屋根を持つ600人以上が同時に礼拝できるモスクとして2011年に再建された。中に入ることはできないが、観光地としてスポットを浴びている。ペルハットは再建前のモスクの前にたたずんで、おそらくさまざまな想像を巡らせたことだろう。

 歴史的な虐殺が行なわれた後、目覚めたのは300年後の現在である。詩人はワインだと思って毒を飲んだ結果、再び苦しみを味わうことになった。中華人民共和国が建国されたとき、ウイグルの詩人たちは自分たちを苦しめていた封建体制からの解放を喜び、まるで酒に酔ったように興奮して、こぞって新国家を讃える詩を書いた。 
 しかし「民族、人種、性別、職業、財産等の違いによって差別されない」時期は非常に短かった。民族融和政策は名ばかりのもので、少数民族の人々だけではなく、少しでも政府に批判的な意見を表明した漢族のジャーナリストや文学者たちも逮捕され、投獄された。
 2010年にノーベル平和賞を受賞した詩人劉暁波が2017年に獄死したことは、まだ記憶に新しい。

 第三連の「頭蓋骨で作られた塔」は、勝者が敵方に恐怖心を与え戦意を喪失させるために、泥などで作った塔の中に殺した兵士の頭蓋骨をはめ込んで作るもので、過去にはいろいろな地域で作られていた。因果応報の教えはウイグル人だけでなく、おそらく多くの日本人が、幼いときに親から一度は聞いた教えではないだろうか。親の言うことを聞かず、度の過ぎたいたずらをして、「悪いことをしたら罰が当たるよ」と言われた思い出を持つ人も多いだろう。しかし、悪いことをしなくても悪いことが起こり、善いことをしても良いことが起こらない理不尽なことは数多くあるものだ。 


 第四連の「毛皮の帽子をかぶった男たち」は、少数民族の男性を指している。彼らがかぶる毛皮の帽子はクラウンの部分が高くなっていて民族ごとに独特の形をしている。
 彼らを射撃の練習台にしたのは、実在の人物、王震(おうしん)(1908-1993)という軍人で、新疆生産建設兵団を率いて新疆に赴任してから漢族の入植を推し進め、ウイグル人やそのほかの少数民族を徹底的に弾圧した人物で、ウイグル人の間では殺人鬼として今なお語り継がれている。
 筆者が新疆にいたときにも、王震については何度か聞かされた。
 「毛皮の帽子を見たら手当たりしだいに銃で撃ち殺せと命じた、鬼のような王震という男がいた。それで彼の名を聞くと子供を含めてすべてが恐怖を感じるようになり、母親たちは『泣くのを止めないと王震が来るよ!』と脅して泣き止ませていた。」というものである。 
 正確な数は記録に残されていないが、彼の指揮により数十万人の少数民族の人々が殺されたと言われている。あまりのひどさに、当時新疆分区を管轄していた習仲勲(しゅうちゅうくん)(1913-200)が虐殺を止めさせようとしたが従わず、彼が毛沢東に直訴したのでやっと王震は左遷させられた。
 話がそれるが、習仲勲は習近平の父親である。習仲勲は子供のときから少数民族と共に生きて少数民族を愛し、融和政策を唱えていた人物として知られているが、その息子が現在の少数民族弾圧を指揮している人物だというのは皮肉な話である。 
 もう一つ横道にそれる話をすると、左遷させられた王震は、その後も軍人、政治家として生き延び、1988年には日中友好協会名誉会長として日本を訪問した。そして長崎市の新地中華街の門の額を揮毫している。この門の下を通る人も揮毫を頼んだ人も、まさか「新地中華街」という文字を書いた人物が、かつて新疆で大虐殺を働いた人物とは露ほども知らないだろう。 

 第五連の「酒を飲むことが血を飲むことよりも悪いとみなされていた時代」というのは、支配者が厳格なイスラム教徒であった時代には厳しい禁酒令が出されていたことを指す。 
 カシュガル・ハン国の酒好きだったスルタン・サイード・ハン(在位1514-33)は、カシュガルにやってきたスーフィー(イスラム神秘主義者)教団の一つであるナクシュバンディー派のスーフィーに弟子入りして、長年の悪習であった飲酒をやめ、禁酒の誓いを立てたと言われている。 
 ペルシャの有名な詩人ハーフィズ(1325(26)-1389(90))も酒が好きだったようで、禁酒令を解いた統治者に対して、その治世を讃えたカスィーダを書いている。 
 ここでカスィーダという単語の説明をしておこう。カスィーダは宮廷詩人がパトロンである王侯貴族や富裕層の商人を讃えるために詠んだ定型詩のことで、頌詩(しょうし)、頌歌(しょうか)という訳語が当てられている。職業詩人は彼らから与えられる手当や褒賞で暮らしていた。また、有名な詩人からカスィーダを捧げられることは、彼らにとっても名誉なことだった。

 第五連三行目のナワーイー(1441-1501)は、ティムール朝を代表する文人で、政治家としても私費を投じて病院や隊商宿、橋の建設などを指揮して名宰相と讃えられている人物である。ナワーイーの時代は行政語、文学語としてはペルシャ語が用いられていたが、彼はチャガタイ語を用いて詩作をしたほか、数多くの著作物を遺した。 
 ペルハットがスーフィズムについて、ナワーイーの作品からも学んでいたことは確かである。彼はナワーイーの長詩「ライラとマジュヌーン」を資料として漢語に翻訳し、博士論文を書いているのである。〔修士論文のタイトルは「各地の方言に見られる古代ウイグル語の存続と進化の調査」、博士論文は「チャガタイ・ウイグル(=チャガタイ)文学における古典の研究――ライラとマジュヌーン」というものだった。〕

 「ライラとマジュヌーン」はアラブ社会で実際に起こった事件がもととなっている悲恋物語で、美女ライラを恋い慕うあまりマジュヌーン(狂った人)となった青年カイスが砂漠を放浪し、最後には命を落としてしまうという内容で、イランや南アジア、中央アジアに広く伝わり、多くの詩人や小説家がこれをもとにした名作を作り出した。 
 美しい人に恋してマジュヌーンとなることは、スーフィズムでは理想的な生き方だとみなされている。恋人、つまり神を愛して狂うのがスーフィーの究極の目的だからである。修行をして忘我の境地に至り、恍惚とした状態で神秘的な神との合一体験を得ることがスーフィーたちの最終目標で、そのための手段の一つとして飲酒も認められている。
 ウイグル人がセマーと呼んでいる旋回舞踊も酒と同様に、神秘的な神との合一体験を得るための手段として用いられていた。現在ではトルコのコンヤに拠点を持つルーミー教団の旋回舞踊が観光客に披露されて有名であるが、これも、もともとは神秘主義の修行の方法の一つとして用いられていたものである。 
 説明部分が長くなってしまったが、これらの予備知識を得たうえで、もう一度「カスィーダ」を読んでみると、詩人と一緒に歴史の舞台に立ってさまざまな事件を体験しているような気にさせられる。ペルハットはこの「カスィーダ」を、だれに捧げたのだろうか。

 


 タリム川  (2015年6月20日)

我々はここで始まった
我々はここで終わる
我々はどこからか来たわけではない
我々はどこへも行かぬ

神が人間を創ったというのなら
神は我らを この地に創ったのだ
人間がサルから進化したというのなら
この地にいたサルから我らは進化したのだ

死の床にある人間の口から出るとぎれとぎれの言葉のように
とぎれとぎれに出現する 血のような無数の流れ 
ああ タリム川よ 長い時間をかけて切られ続けてきた
その傷口から出る血は いつ止まるのか

お前は民族の足跡のように姿を見せたり消したりする
お前は歴代王朝のように 世界に向かって宣言したり消えたりする
だが かつてオオカミのように吼えた山々が 過去のすべてを全世界に告げようとも
それを理解する者はいない

力のある天使と光り輝く神々が 
太陽を旗印にして空に打ち立てた
それは世紀の始まりに 切り立った岩山のてっぺんに残された血の跡だった
お前はその岩のあいだからしみ出てきた
聖なる山がすこしずつ ゆっくりと動かされたあと
その太陽は消えた

コンドームもお前を疲れさせることはできぬ
ああ 一滴一滴の血の中で輝きを放つ花よ
目的の地を目指す旅人は 繁栄の力を持つオマイにひざまずいて祈る
お前が性の病にかかることはない

ああ キャラバンが残していったかがり火の中で 
密やかに咲く青い花よ
生身の人間の血を調べるのが難しいというのなら
数千年前のミイラから 我らの起源を探し出せ
タクラマカンの砂丘から 我らの肌の色を探し出せ
タリム川の水から 我らの血液成分を探し出せ

タリム川の水のように
我らはここで始まり
ここで終わる

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 第三連に出てくる「とぎれとぎれに出現する」流れは、砂漠や乾燥地帯に見られる涸れ川のことで、雨期に水が貯まったときに窪んでいたところを流れ、やがて砂漠に消えていく川や、雪解け水が水源となるホータン川のように、夏の間だけ水が流れて、そのほかの季節には干上がってしまうような川のことをいう。 
 タリム川は天山山脈を水源としている複数の川が合流してできた川で、タクラマカン砂漠の北側を東に向かって流れる全長約2000メートルの内陸河川であり、最終的には砂漠に吸収されてしまう。 

 第四連では始祖伝説に登場するオオカミが、歴代王朝を指す山々と結び付けられている。 
 第五連では、ペルハットが作った「民族創世の物語」が語られる。自然崇拝をしていたウイグル族の祖先は、太陽を強い力を持つものとみなしていた。天幕(移動式住居)の出入り口は太陽の出る方向、東に向いて開けなければならなかった。 
 月や空、大地、川も同様に崇拝の対象とされていたが、太陽は特別の存在であった。ウイグル族は匈奴や突厥といった遊牧民族国家との戦いを経て、自分たちの最初の国、ウイグル・カガン国を作り上げた。国家樹立に至るまでには血で血を洗うような多くの血が流されたことを表している。  
 「聖なる山」は、ウイグル・カガン国の故地、ウトゥケン山を指している。ウトゥケン山というのは歴史的呼称で、現在のモンゴル国にあるハンガイ山脈東南部の山脈がかつてウトゥケン山と呼ばれていた。ここはウイグル族だけではなく、ほかのテュルク系遊牧民族の聖地でもあった。 
 ウイグル・カガン国は王国の末期になると王位継承を発端とする内部分裂を起こし、時を同じくして数年にわたる自然災害に襲われ、さらに他部族の侵攻を受け、ウトゥケン山から西への移動を余儀なくされた。 
 一年をかけてのゆっくりとした大移動のあと、九世紀の半ばにタリム盆地で定住を果たし、その地に住んでいた同胞民族と混じり合い、再びウイグル人の国、西ウイグル国を作り上げた。(820年のチベット、唐、ウイグル・カガン国の間で取り決められた三国会盟によって、トルファンを含む地域はウイグル・カガン国の領土となっていたが、それ以前から多くの同胞民族が居住していたので、移動していったウイグル人の定住はスムーズに行なわれた。)

 第六連の「オマイ」は古代のウイグル人が信仰していた女神の名で、ボグダ湖(天山天池)で沐浴すると、この女神の力で子孫が繁栄すると言われていた。  
 第七連の「キャラバンが残していったかがり火の中で咲く青い花」は、現代に生きるウイグル人の比喩ではないかと思われる。  
 キャラバンは紀元前からすでにあらゆる土地からやってきて、この地で現地の人と交わっていた。青色はウイグル人を含むテュルク系民族の人たちにとっては神聖な色とされていて、青は空の色でもあり、空は天に通じるものである。天は神と同意語で、それゆえに青には「偉大」という意味が付加された。 
 以前は、タクラマカンから発見されたミイラはその外見からコーカソイド(類白色人種群)だと思われていた。しかし最新のDNA鑑定により、現在は、最下層から発見されたミイラがモンゴロイド(類モンゴル人種群)とコーカソイドの混血であった可能性が高いと言われている。

    タクラマカン砂漠 Wikipediaより

 出版社のパーティーでペルハットと出会ったダレン・バイラ―氏は、現在ペルハットの小説『The Backstreets(裏通り)』を、ウイグル語の原稿から英訳していて、2015年当時、この小説についてペルハットと話している。

 「この小説のストーリーは私が大学生として暮らした北京時代と、役所の職員として暮らしたウルムチでの経験がもとになっている。北京では、ウイグル人のクラスメートのうち五人が、プレッシャーのために精神的に衰弱し、私自身も精神的に安定していなかった。」と、ペルハットは言った。  
 クラスメートに起こったこの状況を目撃したことが、ペルハットに大きな衝撃を与え、生活環境の変化と精神疾患との関係を明白にさせたいと思うようになったのである。
 そしてペルハットは「私はカミュの小説『ペスト』に本当に影響を受けた。何度も読み直し、読むたびにいつも、すべての行が何か重要なことを言っているように思えた。」と付け加えた。

                         『The Backstreets』は 2022年7月にコロンビア大学から出版される予定である。共訳者であったウイグル人の翻訳家が強制収容所に収監され、現在はダレン・バイラ―氏が単独で翻訳している


 ペルハットはカミュの小説『ペスト』に大きな影響を受けたとダレン・バイラ―氏に語っている。ペルハットの詩をさらに深く理解するために、まずカミュが五年以上の歳月をかけて書き上げた大作で、「不条理の哲学」の思想が表現された作品として評価されている『ペスト』の内容を紹介しておこう。  

 アルジェリアのオランという街でネズミの大量死が起こり、やがて人間が死にはじめ、それがペストであることが判明する。  
 死者の数が増えていき人々はパニックに陥り、最初は対策をとるのを渋っていた市当局もあわてて対応策を打ち出していく。街の門が閉ざされ完全に外部から遮断され、とつぜん友人や知人、愛する人との強制的な別れを強いられた人々は精神的な苦痛を受ける。
 物流が滞り物価が高騰して、富裕層を除く一般の人々の生活は困難になる。そのような環境の中で、日ごろは隠されている人間のさまざまな側面が露わにされていく。  
 四月に始まったペストは翌年二月に収束し、人々は歓喜の声を上げるが、彼らの声を聞きながら、患者の治療に奔走したリウー医師は、「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類の中に眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクや反古の中に、しんぼう強く待ちつづけていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすためにペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日が来るであろう。」と考えているのである。

 人間が生きているこの世界には、自分の力ではどうしようもできないことが多くある。国、人種、政治体制、民族を選んで生まれることはできないし、天災や疫病はとつぜん襲ってくる。苦しみや悲しみは果てしなく続くように思われる。しかし、それでも人間は生きていかなければならない。では、そのような世界でどう考えどう生きていけばいいのか。これまで古今東西の無数の「考える人」たちが、自分が見つけた答えを、文学、演劇、評論などの媒体を通して人々に向けて語ってきた。カミュもそのような人たちの中の一人である。
 『ペスト』で描かれた外界から隔離された街は、まったく現在の新疆と同じである。ただ大きな違いがある。新疆の場合は、ウイグル人を含む少数民族の人々のすべての行動が、ハイテク機器で監視されているということである。  
 街中に無数の監視カメラが張り巡らされ、200メール毎に派出所のようなものがあり、街中に何か所もの検問所が設けられ、漢族以外はIDカードや所持品の検閲を受けなければならい。スマホも盗聴されている。                    

 オランの街の住民はペストが収束したら外の世界との交流を持つことができるようになったが、新疆ではその日がいつ訪れるか、わからない。 
 中国は、一時期は民族融和政策をとったが、再び少数民族を弾圧する政策に方向転換し、公然と彼らの文化を抹殺するためのさまざまな方法を実行してきた。漢語のみでなされる教育、公の場での漢語使用の強制、モスクや宗教施設の破壊、イスラム教の戒律を守ることの禁止、共産党を礼賛する洗脳教育等々。まるで勢力を弱めていたペスト菌が、再び力を持って襲ってきたようである。 
 しかしペスト菌よりたちが悪い。中国は経済力を武器に戦狼外交を行ない、いまや世界の覇者になろうとしている。中国の経済に依存している多くの国々は、新疆のこのような状況を知っていても、知らぬふりをしている。 
 詩人ペルハットが生きている社会は、このような社会なのである。

 燃えている麦カスィーダ、 タリム川の三篇をとりあげて少し詳しく語句の説明をしたのは、この三篇がペルハットの思想をよく表している詩だからである。 詩人は、えている麦で自身と周囲を深く見つめ、カスィーダで歴史の中に入り込み、タリム川で、外に向かって「タリム川の水のように、我らはここで始まり、ここで終わる、我々はどこにも行かない」と、高らかに宣言している。 
 1990年、歴史書『ウイグル人』を書いたトルグン・アルマスは拘束され、拘束が解かれたあとも軟禁状態におかれた。 
 1990年代の半ば、ペルハットの親しい友人である詩人タヒル・ハムト氏(現在アメリカ在住)はトルコへ行く際に空港で拘束され、三年間の労働キャンプに送られた。新疆で起こった暴動を報じた新聞を持っていたことが罪に問われたのだ。 
 1998年、歴史学者で東京大学大学院に留学していたトフティ・トゥニヤズ氏が一時帰国したとき、「機密情報を持ちだそうとした」という疑いで逮捕され、懲役11年の判決を受けた。 
 2014年1月、中央民族大学教授で経済学者のイリハム・トフティ氏が北京で拘束され、「国家分裂罪」で無期懲役の判決を言い渡された。彼はペルハットと同じ1969年生まれで、ペルハットと同じアトシュ出身である。
 ほかにも、国外に伝わっていない知識人の逮捕事件は起こっていた。ペルハットはそれらの事件について当然知っていただろうし、そのような中でタリム川のような内容の詩を書けば、自分の身に何が起こるか、わかりすぎるほどわかっていたはずである。  
 燃えている麦 、 カスィーダ 、 タリム川からは、詩人の深い絶望、孤独感、憂い、悲しみが伝わってくる。だが、伝わってくるのはそれだけではない。これらの詩には、それでも愛することをあきらめない人間の姿が描かれている。燃えている麦で「愛してくれ」と叫ぶ詩人は、愛されることだけを望んでいるわけではない。自らも愛することを望んでいる人間である。それは2006年に発表された「夕暮れ時に眠る者」という詩の中にも示されている。   


 夕暮れ時に眠る者. (2006年)


恐怖と怒りに打ち砕かれたのは
匿名の手紙の差出人たちの地位と身分だ
心筋梗塞を起こした患者の心臓のように
私の手紙保存ファイルが膨張している
彼らが怒りにまかせ 私の罪を書きつづけているから

夕暮れ時に眠る者の脳は
癌細胞や交通事故が作り出されるような場所
その脳にしみこんできたのは妻アジグリからの電話
それが私を起こそうとしていた

突然夢のない黒い眠りから引きずり出された
「パパ!」 息子が言った
彼は会ったことのない祖父の名前を知っている
彼は私のすべての光
電話線の向こうにいる息子は
まなざしが私の父に 微笑みが私の母に似ている
その彼の表情をつぶさに思い浮かべる

夕暮れ時に眠っていると
誕生の前の暗闇の恐怖 死の後の暗闇の恐怖
それらがとつぜん襲ってきて 体を萎えさせる
息子の可愛い声は 二つの暗闇のあいだの無限を示してくれる

夕暮れ時に眠っていたアブラハムが夢で示されたのは
二千年間の放浪
だが私は そんなに偉大ではない
民族の運命を夢で見ることなどできない
夢で見ることができるのはただ自分の運命だけ
息子はまるで夜明けのように その夢から起こしてくれる

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 「アブラハムが夢で示されたのは二千年間の放浪」は、ユダヤ教とキリスト教の聖典である創世記十二章、十七章に、神がイスラエルの族長アブラハムに、「約束の地」を彼の所有地として与える契約を交わした、という記述に基づいている。
 ペルハットは中編小説集『砂漠の救世主』を1998年に、翌年には長編小説『自殺の芸術』を発表した。ところがこの二冊の小説が出版されると、保守的なイスラム教徒によって激しい非難にさらされることになった。
 「ペルハットはキリスト教徒になってしまった」という噂が広がりバッシングが起こり、『自殺の芸術』が出されると、ペルハットへの非難は最高潮に達した。イスラム教の教えでは自殺は厳しく禁じられているからだ。 
 新疆中部の街クチャの学校では本が燃やされ、ペルハットは手紙や電話での脅迫を受け、ときには命の危険が感じられるような事件にも遭遇した。これ以降、どこの出版社も彼の作品を出版しようとはしなくなった。 
 このような執拗な嫌がらせや脅迫事件の中にあって、ペルハットは息子を愛することで、生きる力を得ていたのである。  
 カスィーダの詩人は君を強く愛している。だからいつの時代にも君を想っていて、何度も別の時代の君に呼びかけているのだ。  
 タリム川では、愛する対象はさらに広がり、自分が生まれ育った自然に向けられている。ペルハットの故郷、アトシュの北には天山山脈が連なり、南にはタクラマカン砂漠が広がっている。このような風景の中で詩人は成長した。ペルハットの愛は、同じ祖先の血筋を受け継ぐ人々、自分と同じ境遇にいる人々に向けられている。 

 ペルハットはタリム川を発表したとき、はっきりと「不条理」の世界を受け入れて生きていくことを決心したのではないかと、私には思われる。 
 不条理は一般的には筋道が通らない、という意味で使われるが、もう一つの意味が「実存主義の用語で、人生に意義を見出す望みがないことをいい、絶望的な状況、限界状況を指す」というものである。これはかなり恐ろしい状況である。 
 しかし、カミュは「この世界は理性では絶対に理解できないものである。だが人間は何とか理解したいという望みを強くもって生きている。この二つが対立したまま存在するという状態を不条理という」と、少しかみ砕いて説明してくれている。
「それでは、この不条理に満ちた世界でどう生きればいいのか」、という悩みを持った者に、カミュは「不条理を受け入れて生きよ」と提言し、不条理の中で生きていく人々の姿を、小説『ペスト』の中に登場させて示しているのである。 

 群像劇のように『ペスト』には、宗教者、ジャーナリスト、逃亡者、判事など多くの人物が登場して、それぞれが重要な役割を演じている。特にカミュが重要な役割を与えたのはリウー医師である。リウー医師も不条理を受け入れて生きている。しかし、ペストに完全に勝つことは困難であることを知ったうえで、なお淡々と患者の治療にあたり、周囲の人々に対して自分にできる限りの手を差し伸べ、いくつもの死を看取りながら、ペストの始まりから終焉までを冷静に記録しつづける。 
 彼の記録があることによって、後世の人間、つまり読者は、ペストに襲われた街に生きた人々のことを知ることができるのである。リウー医師には友情を築き上げることのできたタルーという人物がいる。彼をペストで失った場面で、カミュは「彼がかちえたところは、ただ、ペストを知ったこと、そしてそれを思いだすということ、友情を知ったこと、そしてそれを思いだすこと、愛情を知り、そしていつの日かそれを思いだすことになるということである。ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。」と書いている。

  2022年7月に出版が予定されている『The Backstreets(裏通り)』の紹介文には次のように書かれている。

 The Backstreets(裏通り)』は中国政府によって姿を消された卓越した現代ウイグル人作家による、驚嘆すべき小説である。この小説では、政府機関で臨時の仕事を見つけたあと、入り込めない新疆の州都にやってきた、無名のウイグル人の男の姿が描かれている。彼は田舎での苦しみと貧困から逃れようとするが、得られたのは冷たい視線と拒絶反応だけだった。彼は、数字と匂い、欲望と嫌悪、記憶と狂気のモノローグを語りながら、冬の大気汚染の産物であるスモッグを連れとして、街をぶらつく………
 『The Backstreets(裏通り )』は、都会の孤立と社会的暴力、人間性の喪失、同化政策についての厳しい寓話である。しかしながら、主人公が抱いてい る母親の優しさと初恋の鮮明な思い出は、記憶と想像力がどのように深い形で回復力を与えるかを明らかにしている。<https://www.amazon.co.jp/Backstreets-Novel-Xinjiang-Perhat-Tursun/dp/0231202903>

 ペルハットは語っている。  

 私が書こうとしているのは人間の経験だ。私はあらゆる形の人間の考え方に興味を持っている。
 ……私は、「最終的な真実」というものはない、そして、精神的な病は常に存在し、そのほとんどが「正常」という形をとって存在している、と思っている。規範というものに適合しない人間こそ、精神的に病んでいない人間だと思うし、自分は普通だと考えている人間のほうが、実はおかしいのだ。
 私は、社会の主流がいかに異常であるかを示すために、特殊な場所、特別な時間にいる、正常とはみなされない個人について書くことにしている。「正常性」の病を診断するために、心理学や文学を自分なりの方法で使っているのだ

 ペルハットは詩人の魂を持って生まれ、新疆という鉄格子の無い監獄で、書きたいこと、書かなければならないと思ったことを書きつづけていた。しかし、作家としてもっとも充実した時期を迎えようとしたまさにそのときに、ペンを奪われてしまった。

中国警察により、後ろ手で手錠され、目隠しされたウイグル族とみられる男性たち (Screen Shot)<https://www.epochtimes.jp/p/2019/09/47586.>

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ペルハット・トルスンの詩の世界



 朝の感覚  (1993年)

毎朝廃品買い取り業者の耳障りなしわがれ声が
ドアの隙間から
窓の隙間から
全力で家に押し入ってくる
哀れな声ではないのに
粗野で乱暴な響きが 
哀れさを感じさせる

私は思い起こす
いったいどれだけの場所に
自分の住所と電話番号が残されているのかと
それと同時に感じる
多くのものを失ったと
最も大事な心の秘密を失ったと

大通りで
自分が真っ裸になっているように感じる
だれも訪ねて来ない
だれも電話をかけてこない
ひょっとして どこからか こっそりと見ているのかもしれない
恥知らずにも 私の秘密をのぞき見するかのように
私の住所と電話番号を 見ているのかもしれない

外に出る度胸もなく
ここにいて 
みんなを罵る
廃品買い取り業者の耳障りなしわがれ声と
建物を照らす太陽の光と
毛布から立ち上がってくる体臭が
夜が明けたことを認めよと
私に強いる


 ペルハットは大学を卒業したあと、ウルムチの新疆ウイグル自治区人民群衆芸術館の研究員になり、翻訳業務などに携わりながら精力的に詩作を続けた。「朝の感覚」は、勤めはじめてから約4年後、二十四歳の時に発表された詩である。 
 1998年の天安門事件以降、新疆ではウイグル人をはじめとする少数民族の人々に対する監視の目が厳しくなっていた。筆者が滞在していた1995年の時点でも密告や盗聴などは日常茶飯事に行われていて、外では絶対に政治の話はしてはいけないと、先輩の留学生から最初に言われた。
 「どこからか こっそりと見ているのかもしれない」と疑念を起こさせるような事件を、ペルハットは経験したのかもしれない


 無   (2005年1月20日)

シャカムニ(釈迦牟尼)は弟子アーナンダにお尋ねになった
もしだれかに目をえぐられたら何が見えるか
アーナンダはこたえた
何も……

もし土で耳がふさがれたら何が聞こえるか
アーナンダはこたえた
何も……

鼻が嗅覚を失ったなら何が匂ってくるか
アーナンダはこたえた
何も……

体が麻痺したら何が感じられるか
アーナンダはこたえた
何も……

シャカムニは弟子に教えて言われた
目の前の世界は偽りだ
すべては我々の幻想だ
我々の感覚がなくなればそれらは存在しなくなる

シャカムニが世を去って後
アーナンダは師が亡くなったことを信じなかった
なぜなら 彼自身はまだ存在していたから

彼は言った
「私はあなたの幻想です
あなたが思考を止めたら
私は存在できなくなります」

それゆえ人々はシャカムニを永遠のものとみなすようになった
自分が存在しつづけるために

ガンダーラ仏 (東京国立博物蔵)<https://4travel.jp/travelogue /10832148>より


 ペルハットは2007年に大学で漢族の詩人張棗(ちょうそう)(1962-2010)の講義を聴いた。チベットから帰ってきたばかりだった彼はペルハットに、「仏教は宗教ではなく哲学であることを発見した」と語り、ペルハットが仏教に興味を持つきっかけをつくった。  
 張棗(ちょうそう)は、中国の伝統的な詩と現代詩を完璧に融合させた前衛詩の代表者であると高く評価されている詩人で、ペルハットは彼と親しくなったあと、しばしば彼が住んでいる客員教授用宿舎を訪れ、ときには居酒屋でも話しこんだという。   
 ペルハットより7歳年上の湖南省出身の張棗(ちょうそう)は、中国の大学で英語を学び、ドイツ人女性と結婚して長いあいだドイツに住み、その間ドイツの大学で教鞭をとっていたが、肺がんを患ってドイツで亡くなった。享年48歳だった。  
 彼の死を知らされたときのペルハットの衝撃は大きく、深い孤独感を抱え、彼と一緒に過ごした場所を徘徊して彼を偲んだという。
 


 イラク    (2004年10月30日)

バグダッドはすでに没落した
哲学はアルツハイマー症を患った
アートは自慰行為の後の罪悪感
歴史は年間殺人事件数のリスト
宗教はすでに神との関係を断った
誘拐のための誘拐 暗殺のための暗殺 歌うために歌う
人々を自由から「解放」する者は英雄だ
彼らの言葉は 目に見えぬ風で
マゾヒストが味わう燃えるような快感のように伝わり広がる
彼らの言葉は 肉体に快感をもたらす無敵の洪水で
大地を一万年眠らせることができる
人々は血から生まれ血に戻る
これこそが東洋

精神的苦痛の慰謝料? 何だって? ここの人間に精神があるのか?
自然を超越した時代には
一人一人が聖人だ
歴史は無限に広がる砂丘のように 永遠に定まった形を持たない
残酷に扱われるのに慣れた者の最大の願望は
自分がさらに残酷な独裁者になること
彼らは自由を憎む
彼らは民主主義を憎む
恋に狂った男が手に届かない美女を刺し殺すように
東洋人はいつも血なまぐさい方法で
深く憎むという方法で
自分を破壊するという方法で
激しい望みを表現する
これこそが東洋

家でも外でも 村でも町でも
だれもが他人に対して 
自分が独裁者になった夢をリハーサルする
その状態に入り込めない者 
裏切り者になれない者は
向日葵(ひまわり)のように夕暮れ時に燃えながら
銃口の前のダンサーのような イメージできない姿で近寄ってきて
麦のように泣き叫ぶ「「殺さないでくれ 死にたくない!」と
そしてオレンジ色の囚人服を着てひざまずく
これこそが東洋

殺人を軽視することは 文明を否定することだ
人々は肉屋が大好きだ なぜなら
生き埋め 毒ガス 殉死はこれまでも無数にあったが
肉屋は屠殺を公開して 人々の殺人願望
自分の死の過程を見たいという願望を
満足させてくれるからだ
セックスに飢えた男が猥褻な画像を鑑賞するように
燃やされた遺体を見て 大通りで人々は狂喜乱舞する
血の池の中の蓮が 大きな声の読経を背景に 花を咲かせる
墓場のネズミは墓石より高い建造物は見たくない
死体を燃やして遊ぶのは 伝統的な文化芸術
神々が血の色をした月の後ろに隠れて
哲学者たちの議論を笑いながらながめている
人間は流血には向いているが思索には向いていないからだ
冷たい水晶の花の後ろには血と狂気がある
これこそが東洋

売血中毒者は 
血を取り出さないでいると苦しくてどうしようもなくなる
この土地の人間には吸血の悪魔が必要で
インキュバスの無限の律動のように
悪魔を賛美しつづけなければならない
永遠に乾かない一滴の血●●
コンドームとジェノサイドの中で滅びる
炎の中で満開になる灰白色の花は
恐るべき 存在しない永遠を暗示する
暗黒はいつも 当たり前にあるもの
光はいつも 新しくて理解できないもの
光が現れると 人々は不安になり慌てふためく
これこそが東洋

インキュバスとは古代ローマ神話やキリスト教に登場する悪魔の一つ。睡眠中の女性を襲って悪魔の子を妊娠させるとされる。「夢魔」とも言う。
●●イタリアの神学者で哲学者のトマス・アクィナス(1225-1274)が書いた祈りの詩の中に「主イエスよ、どうか汚れた私をあなたの血で清めてください。一滴の血で全世界の罪を償うことができる方よ」という一節がある。


 アッバース朝の首都であったバグダッドは、八世紀終わりには人口が150万人に及ぶ国際交易を担う大都市となり、世界中から貴重な品々や珍しい物産が集まり、巨額の富を蓄えた。大学や立派なモスクが建てられ、多くの文人、学者が集まり、宗教や文化・芸術の中心地となった。   
 ギリシヤやインド、ペルシャの哲学、数学、医学、自然科学などが研究され、文献がアラビア語に訳され、多くの研究書が著された。のちにこれらはラテン語に訳され、ヨーロッパの学問、文化の発展に大きく貢献した。   

 しかし、このような栄華を誇ったバグダッドの姿は、歴史の流れの中ですっかり変わってしまった。1980年から1988年まで続いたイラン・イラク戦争で、犠牲者は両国合わせて100万人前後と推定され、経済的な被害も大きかったとされている。   
 「イラク」が書かれた一年ほど前の2003年8月19日、国連の駐イラク事務所になっていたバグダッドのホテルが自爆テロにより爆破され、24人が死亡し100人以上の負傷者が出るという事件が起こった。ペルハットはおそらくこの事件について知っていただろう。彼は殺し合う「東洋」の人々の姿を、彼独特の比喩で描写している。中国は当然「東洋」に含まれている。
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 破壊された自動車販売店<https://www.jiji.com/jc/d4?p=rit019-jlp08202731&d=d4_mili>より
 ウルムチでは2009年7月5日、ウイグル族と漢族による大規模な暴動が発生し、多数の車両や商店が放火・破壊された。公式発表では197人が死亡、1700人以上が負傷した。 広東省の玩具工場に出稼ぎに行っていたウイグル人の男性が漢族に殴り殺された事件が発端となり、ウイグル族の内部に積もっていた漢族への不満に火が付き、ウルムチでの暴動に発展したと見られている。

 

 フランツ・カフカ   (2003年11月)

フランツ・カフカは死ぬ前に 
自分が書いたすべてを焼き捨ててくれ
見知らぬ者に秘密を知られたくない 
と 友人に言い遺した
だが彼は裏切った

フランツ・カフカは 
永遠に届かぬはずだった父宛ての手紙を書いた
だが すべての人間が彼を裏切って 
公開されてしまった

地球が丸いということをみんなが知ったとき
彼は世界の果てまで行って見た 
彼が見たところは四角形だった
なぜなら世界の形は幾何学では説明できない形だから
彼の想像は現実よりも真実だった
世界の果てから無限の深淵を見て
恐怖症に陥った

評論文に書かれている
グレーゴルが別の社会体制の中で生きていたら
虫だとしても 優しく愛され撫でてもらえただろう
なぜならその評論家も虫だから

カフカはいつも聞いていた
大地の嘆きの声と太陽の鋭い叫び声を
それはだれにも聞こえなかった
彼ほど絶望している者はいなかったから

私もそれらの声を聞いてから 
カフカのような作家になりたいと思った
だが 結局 彼の小説の登場人物になっただけだった

カフカは敗北者ではない
何かに挑戦したわけではないのだから
まさにこれこそが彼の苦痛の根源だった

私にはいつも カフカの声のない叫び声が聞こえる
カフカは自分の傷にペン先を刺した
それですぐに 膿(うみ)を持った花びら●●
隠していた愛のように
人々の前に露わになってレイプされた

なぜなら孤独な者にこそ 愛は特別なもの
愛はひっそりと隠しておかなければならない

フランツ・カフカは
自分の肉体を超越したシッダールタのように
女の脇腹から生まれたのではない

父親に厳しく扱われたとき
出家もしなかったし
いちじくの木の下で七日の断食もしなかったが
悟りの境地に達した

ラマ僧のように
死の苦しみの中で横たわっている者に
どのようにして死んだらいいかを 
教えられるようになった

私は家から出て タリム川のほとりに座り
ウトゥケン山を思って 泣いた
だが感覚器官の誘惑から逃れられず
最後には自分の目をくりぬいて
井戸に身を投げた

ペルハット・トルスンはどこにいる 
と尋ねる者に言ってくれ。
彼は井戸の中にいる 
毒蛇とサソリだけを連れとして 

フランツ・カフカ(Franz Kafka 1883-1924)はプラハ生まれのドイツ語による小説家。実存主義文学の先駆者。小説「変身」「審判」などで有名。
●●膿を持った花びら:花びらは赤いバラの花びらを指す。古典詩では血の比喩として用いられる。

裸の海


 裸の海

私は一度も海を見たことがない
だがいつも 自分の中に流れがあるのを感じている
私は海から最も離れた内陸に立っているから
海の形をしっかり想像しなければならない

想像の中の海は 
時には 無限の砂漠と区別できず
時には 古代の戦場から現代の広場に流れてくるラッパの音のようで
時には 夜の眠りから昼の狂気へと流れてくるドクドクと音を立てる血液のようで
時には 風の中の神秘的な呪いのことばのようで
限りなく変化し 抵抗することは難しい
海は私の原罪の深いところから膨張してくる
巨大な波が 恋人たちの浜辺に打ち寄せる
肉体の震えのような生命力が 大きく広がる
それ以来 海は象徴的な意味を失った

暗くて言い表せないほどの深いところに流れこみ
キスの時の感覚が体の外に流れ出て
波の大きなうねりの音の中にしみ込んでいく
私の肉体から恋人の肉体へ
伝染性の病毒のように流れ込み
恋人の肉体から波に流れ込み
詩人の神経回路から逃げだす

全存在と虚無はすでに発狂し
気の触れた裸の女の振る舞いのように
裸でいる心地よさを楽しみ
海は象徴的な意味を失った



 詩人とゴキブリ (2004年11月4日)

詩人の家はゴキブリに占拠された
自分の書いた詩さえゴキブリにレイプされた
ゴキブリを殺して思考を清潔にしようと決めた
説明書付きのゴキブリ退治薬を買った
説明書には「ゴキブリはこれを食べるとうつ病になり数日内に集団自殺する」とあった。
だが このクソゴキブリは
いまわの際の人間より楽観的だ
滅亡するどころか 前よりも増殖した
悲観論への反発は いまわの際の人間よりも極端だ
暴力に取り憑かれた詩人は信じた
詩を書くことで敵を破壊できると
だがゴキブリは詩の威力を知らない
その結果 自殺するのはゴキブリではなくて詩人のようだ

 


 母語    (2005年11月29日)

友がヨーロッパに移住して長い年月が過ぎた
肝臓ガンにかかり
闘病の末に異国で目を閉じた
妻はヨーロッパ人
子供たちもその地で大きくなった
目を閉じる前のただ一つの願いは
母語――ウイグル語で お互いに別れの言葉を言うことだった
だが残念なことに だれも理解できなかった
それで彼は妻に言った

生まれて最初に聞いたことばはウイグル語だった
私が泣けば 父母はウイグル語であやしてくれた 
キスしてくれた 撫でてくれた
母はウイグル語で 子守唄を歌ってくれた
子守唄は優しく眠らせてくれた
聞かずには眠れなかった
目は閉じず 悪夢を見るのが怖かった

ウイグル語で はじめて愛を感じた
ウイグル語で はじめて美に気づいた
ウイグル語で はじめて自由を聴いた
ウイグル語で はじめて知恵がついて話せるようになった
ウイグル語で はじめて望みを伝えた
ウイグル語で はじめて痛みを訴えた
ウイグル語で はじめて喜びを表現した
ウイグル語で はじめて愛を語った
ウイグル語で はじめて魂の世界を組み立てた
この言葉がなければ この世界は崩れてしまう

肉体はほかの人間の実験台となり
頭はやっかいな文法書と辞書になり
他人が私の口を借りて話しているようだった

なぜなら長い年月をふるさとで過ごしたあと
この地に来てはじめて 多くの民族と言葉があることを
知ったからだ

ことばを学んでいる時にはいつも
「別れの悲しみ」がからみついていた
第二言語のよそよそしさから解放されることはなかった

私はただこの母語の中で生きている
ここは私の唯一の領土 占領することはだれにもできぬ
私は母語の中にいるときだけ自由
私の唯一の夢を壊すことは だれにもできぬ

 古ウイグル語で書かれた古文書        現代ウイグル語の文字


 ウイグル人の祖先はウイグル・カガン国時代に、国家樹立までの経緯や王たちの威光を讃える文言を刻んだ碑文を残した。これらの碑文は突厥文字で書かれている。  
 突厥文字というのは、突厥がモンゴル高原を支配していた時代にテュルク系の人々のことばを表記するために用いられた文字のことである。  
 ウイグル・カガン国でも突厥文字が使用されていたが、西ウイグル国の時代になると、ウイグル人たちは自分たちのことばを書き表わすための文字を作り出した。  
 この文字はソグド文字を改良して作られたもので、横だけではなく縦にも書かれていた。現在のモンゴル語の文字は古ウイグル語の文字がもとになって作られたものである。
 古ウイグル語で書かれている文書類の中では仏教やマニ教、キリスト教関係の経典や賛歌、物語といった宗教関係のものが多いが、暦や占いの書、詩、医学関係のものも発見されている。  
 イスラム教への改宗が進むにつれてアラビア文字が使用されるようになり、現代ウイグル語では、アラビア文字にウイグル語特有の発音を表わす記号付きの文字が使用されている。

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 ダルヴィーシュ   (2004年3月)
            ダルヴィーシュとはスーフィーの修道僧、托鉢僧のこと。

砂漠にある天国の光景の中に出現した叛逆者の頭蓋骨は 
数百年後も変わらず太陽にさらされ白く輝く
彼の幻想の中の天国のイメージと燃えている火の色は
子孫によって変えられてきたのではあるが

そこでは 砂漠の肉欲と天空の蠕動(ぜんどう)に逆らうことはできない
炎に近づけば近づくほど 影は大きくなっていく
それで彼は炎と合一することを選んだ
狂気と放浪は 決して満足できない欲望

水を怖がる叛逆者は 
苦行するか 水と完全に対立する炎になるかを迫られた
彼は子宮の中で 溺死する寸前だったからだ
彼の一生は水からの逃亡に費やされた

第一段階は 母の腹からの逃避
第二段階は 家からの逃避
第三段階は 人混みの喧騒からの逃避
第四段階は この世界から別の世界への逃避

金色の砂は処女膜のように純潔で
貞操のように変わりやすく
変化が予測できないが
火と水が混じり合っても汚されなかった

叛逆者はこの砂漠のためには
奪われ 殺され 凌辱され 去勢され 
ずっと炎症につきまとわれることなど
いかなる代償も支払う価値があると思った

逃げよ 逃げよ 命がけで逃げよ!
ノアのように洪水から逃げよ
全身が乾燥してひびわれ 
千年前の廃墟のようになるまで 

最後の一滴の水からも逃れ 
行き交う隊商にお前の骨を拝ませよ
ダルヴィーシュたちにかがり火を焚かせ
お前の飢えと渇きを永遠に続けさせよ

砂漠の中の遺跡(筆者撮影)

 

 ミイラ   (2004年1月7日)

ミイラは何千年も腐らなかった
私の血を吸いつづけていたからだ
古代の墓に入った探検家は
無数の謎めいた記号の中で迷子になった
今では我々一人一人が 記号になった

我らの中で 魂が迷子になった
前衛的なコウモリが 無限の暗黒に導く
時代遅れの蛾が 燃えている炎に導く
炎と暗黒のあいだの三つ目の道が探し出せない

らが崇拝していた空は カラスに覆われ見えなくなった
彼らの影の下で 私は震えた
生物の中で 最長の歴史を持つのはハエだ
だがハエは 崇められるトーテムにはならなかった
蝶の叫び声は 世界の終焉を暗示している
自分の存在証明ができずに 興奮して騒いでいるのだ

神に祈る者は 実は無の境地になることを恐れている
生きることを選択する すべての機会を失うからだ
だが私はさすらうタンポポ 風がどこにでも飛ばしてくれる
呪い 侮辱 陰謀 そして脅迫 これらがすべて 我らが得た財産

ミイラは疫病のようによみがえる
カラスの影の下で 目がふさがれていて見えない
血を失って青ざめた太陽を見ることができない
最後の選択のときは すさまじい苦痛に襲われる
そのとき ミイラはよみがえる

彼らの体にもかつては 愛を呪うための血があった
彼らは祭壇の捧げものにするために 私の熱い血を取った
お前たちは 悪夢を織っている毒蜘蛛
私はさすらうタンポポ 風がどこにでも飛ばしてくれる
空と地のあいだを さまよいつづける

暗闇の中で永遠に消えてしまうのはいやだ
炎の中で燃えつづけるのはいやだ
だから私は 炎と暗黒のあいだをさまよう
お前のように暗闇を恐れない 冷たい土を恐れない
だからお前のように 永遠に最後が来ないようにと願って
ミイラになるようなことはない
                 蛾と炎は、古典詩において、恋する者と恋される者の比喩として用いられる 。
 

砂漠の墓地(Screen Shot) https://www.youtube.com/watch?v=c-lXQKp1mRo  

 ペルハットの出身地アトシュはカシュガルの北にあり、タリム盆地の西北部に位置する人口16万人ほどの市である。パミール高原東側の山麓にあるオアシスを中心として町がつくられ、小麦、イチジク、ブドウ、綿花が栽培されている。北は天山山脈に連なり羊やヤギの放牧がされて、中南部にはタクラマカン砂漠が広がっている。
 そのタクラマカン砂漠の小河墓地と名付けられた場所から、2000年に145体のミイラが発掘された。何世紀にもわたって墓地として使われていたらしく時代順に五層に分かれていて、その最下層の年代は紀元前1700年から2000年だと推定された。 
 日本でも知られている「楼蘭の美女」が紀元前1800年のミイラだとされているので、それよりは古いものもある。さらに「楼蘭の美女」は容貌から見てコーカソイド(類白色人種群)だと思われていたが、これらのミイラは最新のDNA鑑定の結果、コーカソイドとモンゴロイド(類モンゴル人種群)の混血の可能性が出てきた。
 つまり、4000年以上も前に、西から移動してきたコーカソイドの人々と東から移動してきたモンゴロイドの人々がこの地で出会い、融合したと考えられるのである。発掘品からは狩猟が行われていたことがわかったいるが、矢傷など大規模な戦争を示す証拠がないことから、研究者は、おそらく平和な生活だったのだろうと推測している


 ロプノール    (2004年)

ああ ロプノールよ ロプノール
お前は大地の鏡
青い空と白い雲を映しだす
お前は 我らの信仰と魂の象徴
満天の星を映しだす
お前は 我らの祖先が遺した
決して消えることのない足跡

ロプノールよ ああ ロプノール
お前は死のように神秘的だ
だが死ではない 生命の源
初恋の人が持つ魔力のように
歴史上のものになることはないと思われた
だが すべてのものが砂漠の奥深くに埋もれてしまった

 ロプノールはタクラマカン砂漠北東部にある塩湖で、さまよえる湖として知られていた。1921年にタリム川の流れが変わったことから湖が復活したが、上流にダムが建設されたため完全に干上がり、現在は、干上がった湖床を縦貫する道路が作られている。ロプノールのある地域ではこれまでに50回以上の核実験が行われた。

 

 無限      (2004年10月)

彼はどうして暗殺されるのかわからない
彼を暗殺する者も 他人を暗殺する理由がわからない
だれも知らない
連続して起こる暗殺がいつから始まったのか
そしていつまで続くのか
人々は永遠に 自分が演じるこの劇の演出家を探し出せない

その昔 一人の王が危篤に陥った
死ぬ前に「後の世の人間に墓のありかを知られぬように
秘密裡に埋葬せよ」と命じた
埋葬に立ち会った者すべてが暗殺された
彼らの暗殺に加わった者もすべて暗殺された
その時から今まで 暗殺は続けられている

王は死ぬ間際 命じた
「私のすべての肖像画を焼却せよ
私の姿が描かれている書物も焼却せよ
私の姿を見た者も すべて殺せ」
このようにして彼は
自分の姿を無限に変えることができるようになった

自分の容貌が気に入らなかったからではない
死体フェチの冒涜を恐れたからでもない
彼は無限を崇拝していたから
無限は最強の力と信じていたから

私は彼の肖像画を見たことはない 
だれかが彼の姿を描いたということを 
聞いたこともない
だが扉をたたいている者がいる
私の家の扉をたたいている者がいる


 僕のために泣かないで

黄色く色づいた木の葉が秋の風に震えている
傷ついた僕の心のように震えている
記憶の奥深くにしっかりしまっておこうと
君の後ろ姿を
長いあいだ見つめていた
そして君は視界から消えてしまった
あおざめた夕日のように
僕の体に残った最後の温度が失われていく
闇が僕の体からゆっくりと起き上がる
僕は知っている 未来には不思議な月があることを
この大地をもう照らすことのできない月
涙はもう体を温めてくれることはない
どうか僕のために泣かないで

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ウルムチ郊外の秋(筆者撮影)

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